角間進さん出演映画『浅草・筑波の喜久次郎~浅草六区を創った筑波人~』今秋公開!

2016年/日本/96分/アイエス・フィールド

以下、「第9回したまちコメディ映画祭in台東」のサイトに載っていたもので簡単にご紹介させていただきたいと思います。

浅草・筑波の喜久次郎

キャスト・スタッフ

監督:長沼誠
出演:松平健、北島三郎、長谷川純、秋吉久美子、星由里子、田村亮、
水町レイコ、戸井智恵美

 

イントロダクション

かつてこんなにも、夢のために生きた、ある男たちがいた。

明治から昭和の時代、人々に夢や希望を与え続け、時代の名だたるスターを輩出し続けた、近代日本最大の娯楽街・浅草六区。その礎を築いたのは、こんなにも魅力的な男達だった―。

志高く、情に厚く、庶民のために生き、明治から昭和にかけて浅草六区を近代日本最大の娯楽街に発展させた、筑波出身の男・山田喜久次郎。そして彼とともに浅草六区を隆盛に導いた、浅草一の興行師・根岸浜吉。瓢箪池の向こうに凌雲閣(通称、十二階)がそびえ立ち、見世物小屋が立ち並ぶ明治の浅草を舞台に、男達の熱いドラマが幕を開ける。平成の現代からタイムスリップしたひとりの若者の目を通して…。

山田喜久次郎とは
安政6(1859)年1月1日、常陸国(現在の茨城県)筑波郡北条(現在のつくば市北条)に生まれる。若い頃は全国を放浪し、常に鉄砲を懐に忍ばせていた荒い気性から鉄砲喜久と呼ばれた。その後、上京して根岸浜吉に出会い、彼を助けて浅草六区の発展に務め、興行、実業界で活躍した。横綱・常陸山、天才浪曲師・桃中軒雲右衛門、新国劇の沢田正二郎などをバックアップしたことでも知られる。昭和3(1928)年4月2日、70歳で死去。

根岸浜吉とは
文政11(1828)年、常陸(現在の茨城県)筑波郡小田村(現在のつくば市小田)に生まれる。東京、新富町の新富座で働いた後、明治20(1887)年、興行会社・根岸興行部を設立し、浅草六区に同地初の劇場・常磐座を作る。道化踊りや、歌舞伎、新派劇などの演劇の他、活動写真にも進出。浅草一の興行師として、山田喜久次郎とともに、大衆娯楽街としての浅草六区の隆盛の礎を築く。明治45(1912)年、5月7日、85歳で死去。

浅草六区とは
明治から昭和にかけて、近代日本最大の興行街として繁栄した、東京都台東区浅草の一地域。明治17(1884)年、前年に造成が完了した浅草公園が七区画に区分される。そのうち六区は、浅草寺の西側に位置する地域。明治20(1887)年、六区初の劇場・常磐座が開場。明治36(1903)年には、日本初の活動写真常設館・電気館が開場。その他、数々の劇場、映画館が作られて賑わい、大正時代には、浅草オペラ(常盤座<常磐座から改称>が発祥の劇場)、昭和に入ると、軽演劇、女剣劇、戦後は、ストリップやコントなどが人気を集めた。観光名所として、明治23(1890)年に開場した高層の凌雲閣(通称、十二階)が存在したが、大正 12(1923)年の関東大震災で崩壊した。浅草六区が生んだ時代のスターには、榎本健一(エノケン)や古川ロッパ、浅香光代、コント55号(萩本欽一、坂上二郎)やツービート(ビートたけし、ビートきよし)などがいる。

 

つまり、喜久次郎と浜吉が浅草の発展のために尽力するお話で、角間さんは、浜吉が興行をするのに許可を求めてきた、警察の役どころだそうです。公開を楽しみに待ちましょう!

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